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「号泣」について本気で考えようと思ったけどやめた

思うこと-色々 10代の頃

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こんにちは。「やりなおしのマインドマップ」やまざきたかし( @yamazaki_1205 )です。

 

人生で初めて成人男性の号泣を見た日

ぼくが10代の頃、叔父が若くして亡くなりました。

 

ぼくの従兄弟にあたる息子さん2人がいて、年齢はぼくより一回り上。既に成人していました。

 

告別式の最後、いよいよお別れの時に、2人が人生で聞いたことのないような声で号泣したんです。

 

それは、もらい泣きもできないほどの泣き叫びようで「あぁ、これが“号泣”というものなんだ」と冷静に見てしまう自分がいました。

 

テレビ欄の「(誰々)号泣!」が本当にイヤになった

それからというもの、例えば著名人が亡くなった時に見られる新聞のテレビ欄が本当にイヤになりました。

 

「(誰々)号泣!」と煽ってはいるけど、「ちょっと涙ぐんだだけじゃん」と。

 

それと同時に、号泣しても涙ぐんでも人それぞれだから“号泣”だけが悲しみの表現じゃないぞと。

 

いちいち“号泣”の定義に照らし合わせる必要もないのですが、ぼくの悪い癖のようです。

 

今は新聞もとっていませんし、日常で気になるシーンもないのですが、ちょっと思い出したお話でした。

 

それではまた!